江戸時代の遊郭
熊本の風俗の歴史は、江戸時代から始まります。1753年から1768年にかけて、現在の熊本市南区川尻に「柳堀」という遊郭が存在していました。この遊郭は藩によって公認されたものでした。また、熊本市の小島や藤崎宮、宇土の新開町では、公には認められていない「私娼」が多く存在していました。

明治時代の変革
明治時代に入ると、熊本の風俗事情に大きな変化が訪れます。1872年(明治5年)に廃藩置県が行われ、藩から県へと行政が移行しました。この頃、「私娼取締令」が発令され、私娼が禁止されました。
その代わりに、1874年(明治7年)1月に国が認めた「公娼制度」が誕生しました。この制度下では、公娼は鑑札(当時の身分証明書のようなもの)を与えられ、定期的に性病検査を受けることが義務付けられました。これにより、利用する客側にとっても安心して遊べるというメリットがありました。
二本木遊郭の誕生
熊本の風俗街として最も有名な「二本木遊郭」の歴史も、この頃に始まります。しかし、最初に二本木遊郭が誕生したのは、実は二本木ではありませんでした。
当初は熊本市中央区京町1丁目~2丁目界隈(現在の裁判所あたり)に遊郭が設けられました。

出典:https://r60.jp/special/熊本の歴史:二本木遊郭を追う/
西南戦争の影響
1877年(明治10年)に起こった西南戦争は、熊本の風俗街の歴史に大きな転機をもたらしました。熊本城を守るため、城の周辺(現在の新市街や肥後銀行本店あたりまで)の建物が焼き払われ、一面が焼け野原となりました。この戦火により、京町にあった遊郭も焼失してしまいました。
二本木への移転
西南戦争後、遊郭は京町から二本木へと移転しました。ここから、多くの人々が知ることとなる「二本木遊郭」の歴史が始まります。二本木遊郭には、以前の京町遊郭から移ってきた女性たちも多くいました。
二本木遊郭の繁栄
二本木遊郭は、九州最大の色街として栄えました。最も繁栄していた時期には、73軒もの店舗が集まっており、660人もの娼妓が働いていたと言われています。この時期、熊本は九州の中でも風俗店が多いエリアとして知られるようになりました。
戦前の状況
戦前の熊本は、梅毒罹患率が日本で最も高かったと言われています。そのため、公娼制度の存在意義は公衆衛生の観点からも非常に高かったと推測されます。
売春防止法の影響
1957年(昭和32年)に売春防止法が施行されると、二本木遊郭は大きな転換期を迎えます。この法律により、公然と売春を行うことが禁止されたため、多くの遊郭が閉鎖を余儀なくされました。二本木遊郭も例外ではなく、多くの店が旅館や下宿、料亭などに転業しました。
新たな風俗街の誕生
売春防止法の施行後、熊本に新たに登場したのが、ソープランドの前身である「個室付き特殊浴場(トルコ風呂)」でした。これらの店舗は、現在の中央街エリアに集中して開業しました。

出典:https://mag.japaaan.com/archives/91324
中央街の発展
特殊浴場が栄えた中央街エリアには、新しい「風俗街」が形成されていきました。中央街には、かつての二本木遊郭から転属してきた女性も多く、当初は博多よりも熊本の方がお店や風俗嬢の数が多かったと言われています。
現代の熊本の風俗街
現在、熊本の主要な風俗街は「下通り・中央街」と呼ばれるエリアです。このエリアは、日本三大ソープとも言われるほど日本屈指のソープ街として知られています。約40軒のソープランドが集まっており、店舗型ヘルスやデリヘルも多く点在しています。
風俗街の特徴
熊本の風俗街の特徴として、ソープランドやファッションヘルス(箱ヘル)といった店舗型風俗の多さが挙げられます。特にソープランドの数は九州内では福岡に次いで多いと言われています。また、大手グループが手掛けていたり老舗店があったりと、かなり充実した風俗産業が形成されています。
風俗街の歴史的背景
熊本で店舗型風俗が多いのは、遊郭時代から多くの娼妓を受け入れてきた歴史的背景があるためだと考えられています。この歴史的な経緯が、現在の熊本の風俗産業の規模と質の高さにつながっていると言えるでしょう。
最後の二本木遊郭
「最後の二本木遊郭」と呼ばれた「日本亭」が解体されたのは2009年のことでした。保存を望む声もありましたが、管理費用の問題や、子供たちへの説明の難しさなどの理由から、最終的に解体されることになりました。これにより、熊本の風俗の歴史を物語る貴重な建造物が失われることとなりました。

出典:https://plaza.rakuten.co.jp/koharubiyori2006/diary/200909010000/
まとめ
熊本の風俗街の歴史は、江戸時代の遊郭から始まり、明治時代の公娼制度、西南戦争による移転、二本木遊郭の繁栄、売春防止法による転換、そして現代の中央街の発展へと続いています。
この長い歴史の中で、熊本の風俗産業は常に時代の変化に適応しながら、その規模と質を維持してきました。現在の熊本の風俗街は、この豊かな歴史を背景に、日本有数のソープ街として知られています。
しかし、その歴史の中には、働く女性たちの苦労や社会の変化に翻弄された姿も含まれています。熊本の風俗街の歴史は、単なる娯楽産業の発展史ではなく、日本の社会や文化の変遷を映し出す鏡でもあるのです。


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